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The Smiths/The Queen is Dead【Pitchforkレビュー和訳】

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The Smiths/Queen is Dead

ライター:Simon Reynolds

URL:https://pitchfork.com/reviews/albums/the-smiths-the-queen-is-dead/

The Smithsの1986年の傑作は、80年代のイギリス、演者とファンの複雑な関係性、そして空虚さのエクスタシーへの永久的な証言として今なお際立っている。

 

「帝国期(imperial phase)」は、the pet shop boysのNeil Tenanntによって生み出された気の利いたコンセントで、ポップミュージシャンのキャリア軌道における何も過ちを犯さない期間;創造性のリスクと商業性の高みがピークとなるときのミダスタッチ(訳:成功を生み出す能力)運動ーを指している。まさにその堂々とした名前からわかるように、「The Queen is Dead」でThe Smithsは彼ら自身の帝国期の頂点を迎えた。Morrisseyの歌詞とボーカルがこれほど巧みな特異さや、雄大な感慨を覚えることは無かった。Johnyy Marrのギターは煌めくメロディで溢れている一方、彼のアレンジは余裕と緊密のバランスを維持している。リズム・セクションの2人はバンドの基盤と勢いを与え、このグループの魔法に2人が不可欠であることを再度証明した。信者にとって、1986年6月の「The Queen is Dead」のリリースによってThe Smithsは世界で最も素晴らしいバンドであることが証明された。

 

 問題は、彼らが活動していた当時はそれほど信者の数が多くなかったことだ。彼らの頭の中では帝国だったが、The Smithsがその時代における重要なグループだと一般大衆に納得させることができなかった。今では、The BeatlesThe Smithsを同じ括りに入れることが当たり前なので、当時、Morrisseyとその手下たちがいかに限界を迎えつつあったか忘れてしまいがちだ。

 

彼らはTop 40をポップカルチャーの中心地と見做していたため、The Smithsはアルバムに入らないシングルをたくさんリリースするという60年代の慣例を再び活性化した。しかし、The BeatlesThe Rolling Stonesとは違い、彼らがチャートを独占することは無かった。キャリア開始期に大きめのヒットの突風があった後は、1985年には彼らのシングルは残念なパターンに陥っていた。ファンによる売上によって"How Soon is Now" や"Shakespeare's Sister"といったシングルがチャートの真ん中より下に押し込まれるが、そのシングルは急激に下降していく。その急速な退出は恐らくグループの"Top of the Pops"出演により加速したように思える。Morrisseyの不格好な踊りは、ファンを魅了するほど破壊的であるが、一般人から見るとグロテスクだと思われた。


The Smiths - How Soon Is Now? (TOTP 1985)

 

シンガーは次第に誇大妄想的になっていき、Morrisseyは取るに足らない他の曲を支援するため、自身の深遠でシリアスな歌詞の内容を流さないというラジオ局による陰謀があったと主張するようになった。「本質的に、こういう音楽は何も言っていない」彼は競争に対しこう宣言した。「The Smithsをギャグの対象とすることは純然たるファシズムの政治的断片だ。」The Queen is Deadのリリースから1ヶ月後、アルバム未収録シングル"Panic"で戦いを挑んだ。その勇ましいコーラスで、「自分の人生について何も関係ない」音楽をかける「忌々しいDJを吊るし上げる」ことを提案している。


The Smiths - Panic (Official Music Video)

放送局と同様に、バンドはレコード会社のRough Tradeを販売戦略の弱さの認識から攻め立てた。著名な独立レーベルのボスを努めたJeff Travisは、Morrisseyが「自分にはより高いチャートポジションへの神権を持っている」と思っている事を苦々しく語った。 彼の言葉遣いは明らかにしている:神権は王と女王が所有するものだと。

 

ポップスにおいて認められていない支配者としてのMorrisseyの概念(パンクが起こった期間にはあった切迫性と社会問題との関連性をイギリス音楽に取り戻すことができる嫌われた救世主)は、The Queen is Deadというあからさまな反王室主義のタイトルの背後に潜む含みの一つだ。その意味では、タイトルトラックにおける勢いのある爆発はSex Pistols"God Save the Queen"の長らく待たれていた続編として解釈されるよう意図している。

 

但し、もしこれがパンクの復活だとするならば、曲名からも分かるようにそのキャンプ版(訳注:伝統的な価値観から見ると悪趣味と言えるものに美学を見出す考え方。同性愛的な価値観とも結び付けられる)だと言える。"Queen is Dead"というタイトルは、Hubert Selby Jr.の1964年の小説「Last Exit to Brooklyn.」のドラッグクイーンに関する章から借用されたものだ。Johnny Rottenによる「ファシスト体制」への全面攻撃というよりは、Morrisseyは単に無礼で、王室との遠い血縁関係を主張し、王妃と気軽に話すために宮殿へと侵入した。(この部分の歌詞のインスピレーションは、精神的に不安定な男が女王の寝室に忍び込み、彼女とおしゃべりした1982年の事件がもとになっている。)Morrisseyは更に、チャールズ皇太子に対し、もし彼が母親の結婚式の服を着て、右翼的で王室礼讃的な新聞「The Daily Mail」の表紙を飾ることがあれば愉快だろうと提案している。Morrisseyの歌詞の不条理なファンタジアは、60年代のゲイの劇作家Joe Ortonの、あらゆる伝統的な慣習が暴力的に逆転するブラックコメディを思い出させる。 しかし、バカバカしさの下では、去勢や母親のエプロンのひもに縛られていることについての哀しく真剣な歌詞があり、チャールズは母親が最終的に死ぬまで本当の男性になることはないだろうが、その意味ではMorrisseyとチャールズは同一視される。

 

個人的、及び国家的レベルでの発育不全を表現する入り組んだ比喩として、"The Queen is Dead"は、Morrisseyが崇拝する60年代初頭のイギリスのソーシャルリアリズム白黒映画の1つである"The L-Shaped Room"からのサンプルから始まる 。中年の女性が、愛国的な郷心をテーマにした第一次世界大戦の俗歌である「Take Me Back to Dear Old Blighty」を歌う。いわばノスタルジアによって包まれたノスタルジア。そのサンプルは、たとえ高度な皮肉を意図していたとしても、 Morrisseyの過去への致命的な愛着を表している。"God Save The Queen"のように、Morrisseyイングランドの夢に未来が無いことを知っている。 思い違った排外主義による帝国の遺産を放棄するまで、この国は決して前進しないということを。しかし、将来のBrexit支持者の輪郭はすでにここで日の目を見ている。

 

Princeの “Controversy” からTaylor Swiftの“Look What You Made Me Do,”まで、ポップスターが公人としての自分の立場を語り始めることには、常に危険を伴う。 "The Queen Is Dead "がバンドが自らの重要性を認識した時に行う大言壮語のようなものであるのに対し、"The Boy With the Boy With the Thorn in His Side "はアルバムに収録されている本格的なメタ・ソングの一つである。 Morrisseyは、無関心な疑心暗鬼の数がはるかに多いことを嘆くことで、彼の信者たちの共感に訴えている。 "どのように彼らは私がそれらの言葉を言うのを聞くことができ、まだ彼らは私を信じていないのですか?" "Bigmouth Strikes Again "には、ジャンヌダルクが炎上したことに言及していることから、殉教者の姿勢からリベンジのヒントもあります。 この曲はファンとのリレーションシップ・ソングであると同時に、彼の辛辣な口調や大げさな発言で永遠にトラブルに巻き込まれ物議を醸し出しているMorrisseyへのコメントでもある。

 

"Frankly, Mr. Shankly "はメタ的には些細なことだ。 当時、この曲がラフ・トレードのJeff Travisへの意地悪な攻撃であることを知る者は、ほんの一握りの音楽業界関係者以外にはいなかっただろう。 しかし、それにもかかわらず彼は「正義や聖なるものよりも有名になりたい」と語っています。 この曲は、スミスがRough Tradeとの契約を解除して最大手のレーベルであるEMIに移籍したことを正当化するための曲としても使われている。

 

この時期のメタ・ポップの中で最も巧妙なのは、このリイシューの2枚目のディスクに収録されているB面とデモの中にある。 元々は "The Boy With the Thorn "の裏返しの曲で、"Rubber Ring"と名付けられた曲のタイトルは船の上にある救命具に由来している。 Morrisseyは一時期のファンの命を救ったとしても、彼が永遠に閉じ込められたままの不適応と愛想のなさから成長していくうちに、ファンが彼を見捨てることを予想している。 空虚な若者たちの人生は普通の幸せで満たされ、スミスのレコードは片付けられて忘れ去られていくだろうと彼は予測している。「昔のように私を愛してくれるだろうか?」Morrisseyは、まるで彼のファン一人一人と実際にロマンスをしているかのように懇願し、ポップスのサイコダイナミックスであるアイデンティフィケーションと投影の中で働く変態性と不可能性を痛感する。

 

"The Queen Is Dead"に収録されている曲からは、他にも2つの大まかなカテゴリーが形成されている:メタの他に、陽気なものと憂鬱なものがある。 病的な(スペルミスのある)タイトルにもかかわらず、"Cemetry Gates "は元気でのんきな曲だ。 墓石の間を散歩しながら詩を語り合って、死の悲しみを強く感じていることを示しているにもかかわらず、この早熟な若者たちの生命力は強い。 Morrisseyによくあるように、言葉のチョイスや言い回しにも、ちょっとしたクセがあり、例えば「plagiarize」の「g」を意図的に間違ってアクセントとして発音しているような、ちょっとした衝撃がある。 アルバムで2回目となる女装をした "Vicar in a Tutu "は、神父の変態ぶりを "雨のように自然なもの "と表現しているところに、さりげない破壊性のひねりを加えていて、ちょっとした喜びを感じさせる。 この変人は神が作ったようなものだ。 その無意味さの中に宇宙的なものを感じさせる "Some Girls Are Bigger Than Others "は、当時、このような重要なアルバムの最後を締めくくるものとしては破天荒に思えた。 今となっては、"There Is a Light That Never Goes Out"という明らかな幕切れではなく、"Some Girls"でのマーの演奏の滑動と輝きこそが、決して消えない光なのだと思う。

 

そして、生と死をかけたシリアスな曲もある。 片思いを歌った "I Know It's Over "と "There Is a Light "はペアになっている。 前者は悲惨さの中から威厳を紡ぎ出し、後者はそれを超越して、それ自体が終わりとしての希望に満ちた崇高で赤裸々な宗教的なビジョンを持っている。 I Know It's Over "の歌詞は力作で、セックスレスで愛のない空っぽのベッドを墓場に見立てたオープニングのイメージから「海が僕をさらおうとする/ナイフが僕を切り裂こうとする(The sea wants to take me/The knife wants to slit me)」 の自殺的な反転表現、「あなたがそんなに面白い人だというのなら/なぜあなたは今夜ひとりで過ごしているの?(If you're so funny, then why are you are on your own tonight?) 」の自虐的な表現、そして最後に 「憎むことは容易い/でも優しさや思いやりを持つためには、強さが必要なんだ(It's so easy to hate/It takes strength to be gentle and kind)」という予想外の驚くべき優しさに到達する。 この曲で、従来の基準において強力でも上手でもないシンガーのMorrisseyは、耳の肥えたJohnny Marrが「私の人生のハイライトの一つ」と評したような、史上最高のヴォーカル・パフォーマンスを披露している。

 

"There Is a Light that Never Goes Out"のコーラスで涙が出なかったら、あなたは別の種族に属していることになる。 このシナリオでは、運命的な不倫や、始まってもいない恋(と人生...Morrisseyの)が描かれています。 しかし、ここでMorrisseyは、それ自体が満足感となり、豊かさとなる空虚さとなるような、恍惚とした憧れの中で揺れ動いている。 どこにも、誰にも属していないことに関する彼の多くの曲の中で最も偉大なこの曲は、二階建てバスのイメージのメロドラマ的な過剰さと、恋人ではない人たちのロマンチックな絡み合いの死のイメージで、ほとんどコメディに転げ落ちそうになります(実際、笑った人もいるだろう)。 しかし、"the pleasure, the privilege is mine "の震えるような真摯さによって、スミスのソングブックの中では重力とレベルの境界線の右側に位置している。

 

バンドが生きていた時代にThe Smithsのファンであることは、80年代のポップの主流とそれを反映した政治文化からの疎外感を示す美的な抗議票のように感じられた。 そのような状況が数十年の歳月とともに失われていく中、熱望と疎外への時代を超えた嘆きであるMorrisseyの声が、ならず者の響きとして、今も残る。 Morrisseyの機転の利いたウィットと奇妙な思考がなければ、この時代のインストゥルメンタルのB面が示すように、Marrは単に美しいだけの存在にしかならない。 同様に、Marrの美しさがなければ、Morrisseyは単に耐え難い存在になり得る(The Smiths以降の彼のキャリアの多くがそれを物語っている)。しかし、"There Is a Light "でMorrisseyのため息がMarrの落ち着いたシンセサイザーのストリングスに撫でられたり、"Boy with the Thorn "でギタリストの金色のカスケードの中でシンガーの無言のファルセットがはためくとき、彼らのテクスチャーが噛み合う方法には奇跡的な何かがあるのだ。 "The Queen Is Dead"をリリースしてからわずか1年後に、何らかの理由でこの奇妙なカップルが別々の道を歩んでしまったことは、音楽的には大きな悲劇である。 MorrissyとMarrはお互いを必要としていた。そして2人とも心の奥底ではまだその事を知っているのだろう。