The Daily Planet

日記です

Hüsker Dü-"Zen Arcade"(1984)

今作をリリースする直前、彼らはフォークロックバンドThe Byrdsの"8 Miles High"のカバーシングルをリリースしている。カバー元に似ても似つかないハードコアアレンジがなされたこのカバーは60年代に対するアンチテーゼであるかのように思われたが、実はその逆であることが"Zen Arcade"で判明した。

 

パンク(ハードコア)は、一般的に70年代に主流だったプログレやハードロックなどの巨大化したロックに対するアンチテーゼだと言われることが多いが、実はそれと同じくらい60年代ー特にヒッピームーブメントが盛んだった60年代後半ーに対するアレルギーも強かった。反戦や反政府という主張をするにせよ、結局のところポピュリスト運動に終わったヒッピーが言うところの「愛」を使うことは70年代後半の若者にとっては10年前と同じ轍を踏むことにしかならないと考えていたし、そのような風潮は音楽的リファレンスにも反映されていた(パンクスが支持した60年代後半ロックといえばThe Velvet underground, Captain Beefheart, Canなどの辺境プログレ,Stoogesぐらいか...)。しかしそのような風潮の中、Hüsker Düの3人はイデオロギー的な部分はさておき、音楽的には自分達をよりより大きい所へ導く宝の山であると見ていた。

 

83年にドラマーのグラント・ハートが住んで?いた元教会で本作のリハーサルを始めた彼らはそこでLSDにのめり込むこととなる(「あの夏はたぶん28回はトリップした」とハートはインタビューで認めている)。まさに60年代のサマー・オブ・ラブの時代を支配したドラッグだ。その結果、それまでの爆速/爆音なハードコアサウンドを引き継ぎつつ、全体的にサイケデリックな意匠が施されることとなった。"Dreams Reoccurring"は"Tommorow Never Knows"よろしくギターの逆回転サウンドを聴かせ、"Hare Krsna"はジョージハリスンよろしくインド(ヒンデゥー教)へ接近する。そして14分の最終曲"Reoccuring Dreams"はギターのフィードバックが鳴り響くインプロビゼーションで、Jimi Hendrixの影が見える。ピアノを使ったインストもあれば、アコースティックギターによる弾き語りもある。

しかし、最も60年代的なフィーリングを感じさせるのはその歌詞である。今作は2枚組となっており大まかなコンセプトアルバムとなっている。そのストーリーは、家庭内の不和に悩む少年が家出をし宗教に傾倒したりドラッグに溺れたりするが、最終的には自分の世界を取り巻くより大きな混乱に巻き込まれていくという話だ(ただし最終曲付近ではそれまでの家出話が夢オチであることも示唆されているが)。これはThe Whoが歌うところの「10代の荒地」的なコンセプトである。同時代のアメリカのパンクバンド、例えばレーベルメイトのブラックフラッグやミニットメンは怒りや自己規律、経済性といった徹底的な現実主義に基づいていた。Husker Duもそのような価値観を共有していたが、彼らはそこから「もっと良い世界」を希求することを隠さなかった。(だから、彼らが80年代中盤にいち早くメジャーへと移籍したのもおかしな話ではないのだ。)

 

ソングライティングの面で言えばこのアルバム以降の方がよりレベルが高いのだが、それと反比例するようにハードコアバンドとしての勢いや一体感は減衰していくため、今作含めた3枚("New Day Rising""Flip Your Wig")はどれも個人的には甲乙付け難い。ただ、とあるレビューを引用するなら「太ったボブ・モールドがFlying Vをかき鳴らしながら流れ出る汗はインディロックで最もロマンチックな光景であり、汗の一滴が地球に落ちるたびにSuperchunkのようなバンドが誕生」*1していたことは確かであり、その光景が最も目に浮かぶのはこのアルバムである。成人してから初めて彼らを聞いた私にとって、もはやこのアルバムのテーマや歌詞そのものに強い共感を引き起こす物ではないのだが(家出とかしなかったし)、その代わりインディー/オルタナティブというジャンルの、今はもう存在しないかもしれない、思春期のような純粋さと冒険心をこの有刺鉄線のようなノイズまみれのギターの中に聴くのである。

*1:Spin Alternative Record Guideより抜粋

Purelink-"Signs"(2023)

 

まずは1曲目"In Circuits"を必ずイヤホンかヘッドホンで聞いてみてほしい。一聴すると穏やかなシンセが流れる中、4つ打ちのクローズハイハットがBPM112で繰り返される単調極まりない曲のように思える。しかし、再度、顕微鏡を覗くような気持ちでこの中にどのような音が現れているかを確かめてみよう。ブチブチしたヒスノイズ、マイク録音したと思わしき謎の衝突音、金属が触れ合うような音etc...ここには書ききれない、かつ私の頭の中にある形容詞の数では説明が困難な音がすっと現れ、また消えていく(2:50頃から控えめに3音の短いメロディーが現れるが、その後には極度に加工した女性の声らしきものも現れる)。

 

色々なところで指摘される通り、今作は2000年代初頭のグリッチ/ミニマルテクノ(例:"Loop-Finding-Jazz-Records")からの影響が大きい。しかし、過去のそれが当時のビッグビート等、巨人化するテクノのアンチテーゼかのように強迫観念的な執念を持って最小限の音を操ることにこだわっていたのに対し、今作は同じ音楽的ボキャブラリーを使いつつも、どこかジャケットの青空(海?)のように抜けがよくどこか開放感がある。彼らPurelinkは3人組とのことで1人で孤独に音作りをしていた先人とは違うことが要因なのだろうか(それにしてもこれほど抽象的な音楽を3人作業でどう作るのか全く想像できないが・・・)。

 

今作はアンビエントとして聞き流すこともできるのだが、先述したように音像の中に無限のテクスチャが入っており、もし集中してそれらを聞こうという姿勢があれば多かれ少なかれ必ずそれに報いてくれる音楽である。1曲目が群を抜いて素晴らしいが、ドラマーを招いた2曲目「4K Murmurs」では音数は比較的シンプルなものの、生ドラムの繊細な手触りが曲にふくよかさを与えている。アンビエントとしては合格点だが、聞きどころには乏しい3・4曲目を経てラスト5・6曲目で再度、フォーカスに値すべき音像が現れてくる。特に最終曲「We Should Keep Going」はトライバル(民族的)と言えなくもないドラムの中現れる変調した読解不能な女性のボイスがこれまでと違いやや不気味な印象を与える曲で、グリッチアンビエントといった枠から外れて違うところへ行こうとしている印象を受ける。