The Daily Planet

日記です

Nourished by Time/"Erotic Probiotic 2"(2023)

今、我々は一つの「終わりの時代」を生きている。それは西洋の時代の終わりだ。民主主義、グローバル資本主義経済、宗教etc...。西洋社会を駆動していたシステムが明らかに機能不全に陥っている。本作を実家の地下室にてたった一人で制作したNourished by TimeことMarcus Brownもこう述べる。

"正直言って、それは西洋世界全体に言えることだ。初めてのヨーロッパツアーを終えてから、どこも似たようなものだと感じるようになった。言語は違っても構造は同じなんだ。権力構造とかもそっくりだから、(中略)うん、アメリカは好きだけど…でももう終わりだよ、全部終わったんだ(笑い)。"*1

 

R&B、フリースタイル、ハウスミュージック、ベッドルームポップetc...Wikipediaに掲載されているジャンルの羅列を見ても分かるように、彼の音楽はあらゆるジャンルの混合物である。彼は「90年-92年の80年代の雰囲気を残しつつ、90年代に移行しようとしている時期の音楽が好き」とツイートしており中でもSWVを影響元として挙げている。ただ、その時期の音楽で想起したのはCrystal Watersの"Gypsy Woman"である。彼女が道端で見かける路上シンガーが実はホームレスであったことに衝撃をうけて書き上げた重く社会的な歌詞と、ハウスビートの上に乗る憂いを帯びたオルガンのコード進行。このメッセージ、コード、ビートの混合比は彼がメモを取っていてもおかしくない。

 

例えば、彼は"The Fields"でこう歌っている。

一度や二度、神に祈ったことがある

返事が普通の英語で返ってくる事はなかった

むしろ標識や広告のよう

俺に消費し続けろと告げている

彼の音楽は神からの返事がない世界に小規模でいて奇妙な温かさを加えている。

 

*1:Tone Glowより抜粋

Future/"DS2"(2015)

フェミニストの評論家エレン・ウィリスは、1971年のエッセイで「初期のロック音楽は明らかに性差別的だった」と述べつつ、The Rolling Stonesのような性差別的な歌詞を含む音楽を好んだと記した。彼女にとって、Cat Stevensのようなソングライターは、女性を「潜在的な被害者」として描き、一見異性を思いやるように見せながら、男女間の敵対を隠蔽する欺瞞が問題だった。一方、The Rolling Stonesの音楽は、ある種の現実を赤裸々に投影し、彼女の闘争心を刺激したのだ。

私にとって、ヒップホップはウィリスの言うロックに近い存在だ。ヒップホップは、奴隷としてアメリカに連れてこられたアフリカ系アメリカ人の音楽の系譜に連なり、カウンターカルチャーとしての正当性は疑いようがない。しかし、ラップにおける「成功」が「富を得ること」と同義であることには、複雑な思いを抱かざるを得ない。白人主導の資本主義の中で成り上がり、ブランド品を誇示することは、確かに白人社会への反逆と見なせるかもしれない。だが、システムそのものを変えることなく、それに従属する姿は、失礼ながら「新しい奴隷」とも呼べるのではないか。それでも、こうした反発を感じるからこそ、ヒップホップに惹かれるのかもしれない。

 

2010年代に入ると、DrakeやThe Weekndといったアーティストが、富の裏にある「傷つきやすさ」を打ち出し、「有害な男ではない」「あなたたちと同じ人間だ」と親近感を持たせる戦略で支持を得た。一方、Futureはこのような戦略を必要としなかった。彼は"I Served the Base"でこうラップする。「彼らはポップスターを作ろうとしたが、自分はモンスターになった」。

Futureのテーマ自体は新しくない。乱交、金、ドラッグの乱用、違法取引――これらはヒップホップの定番だ。しかし、彼の新しさは、こうしたライフスタイルを謳歌するパーティーラップではなく、ZaytovenやMetro Boominが手掛けるピアノの単音が際立つ陰鬱なトラックに乗せ、自身をそれらを貪る「怪物」として提示した点にある。最終曲"Blood on the Money"では、「血のついた金 / まだ数えてる / あのイースターピンク(=ドラッグのスラング) / やめようとしたが / やめられない」と、オートチューンで微かに震える声で歌う。彼に憧れるか、反感を持つかは聴き手次第だ。しかし、彼の音楽が、資本主義という現実が彼を「止められない怪物」にしたことを反映しているのは確かだ。

The Avalanches/"Since I Left You"(2000)

1918年5月31日、アメリカ海軍の輸送船プレジデント・リンカーン第一次世界大戦のさなかドイツ潜水艦から3発の機雷を受けた後、20分後に沈没した。その際の状況を描いたのが"The Sinking of the USS President Lincoln, 31 May 1918"である。一発でわかると思うが、The Avlanchesによるサンプリング音楽の名作"SInce I Left You"のジャケットはこの一部を切り取ったものである。煙を上げる船と大勢の逃げ出す乗船者が差し迫った状況を表す原画から2つのボート部分のみを拡大し、どこか楽しげな波乗りに見えるよう意味をねじ曲げてしまう。これこそ"Since I Left You"で彼らが成し遂げたことだ。過去の一部を切り取り、それを編集し、全く違うものに見せる。

 

3,500だかの曲から一部をサンプリングし、それを切り貼りすることで1時間のアルバムとして成立させているが(アルバムの作り方は以下の動画を見てもらうとなんとなく分かるだろう)、別にその手法自体が革新的だったわけではない。サンプリング主体の構築はDe La SoulBeastie Boys、KLF、DJ Shadowなど数多のアーティストが既に行っていた。ただ、それを用いてある種のユートピアを作り上げたことが評価すべきポイントだ。1曲目"Since I Left You"の冒頭で男性のサンプルがこう呼びかける。"Get a Drink, have a good time now".その声に誘われた人間なら、このアルバムを聴いて後悔しないだろう。


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私がこれを初めて聞いたのは高校生だったが、まだ見ぬ無限の音楽の世界を垣間見るための窓のように思えた。まだSpotifyApple Musicが日本でローンチする前だったので、実際の手段には限りがあったものの、Youtubeなどでチマチマ過去のアルバムなどを聴いていた時の、オープンワールドゲームをスタートした直後のどこにでも行けるときのような感覚はアルバムの前半("Frontier Psychiatrist"まで)を聞いた時の感覚と繋がっている。それは今聞いても変わらず、毎年夏になるとアルバムを聴きたくなるがこの開放感・高揚感はほとんど減じていない。

 

ただ、今改めて聞くと、今作がレコードという20世紀音楽の最も重要な革新(音の保存・複製)によること、そしてそれが前世紀最後の2000年にリリースされたことの重要性について考えてしまう。これはその終着点、西洋中心による狂乱と繁栄の時代だった20世紀の然るべきエンドポイントと捉えることができる。我々がその残骸のような時代(黄金時代のコスプレを永遠に繰り返す時代)を生きているとすると、"Frontier Psychiatrist"の後の"Summer Crane"がより重要に思える。一気にテンポを落とし、ユーフォリックというより幽玄な雰囲気すらあるこの曲はまさにその響きの中に過去が幽霊と化して我々に憑依する音だ。

 



Godspeed You! Black Emperor/"F♯ A♯ ∞"(1997)

運転手のいない車は炎上し、
下水道は孤独な自殺者で濁っていて、暗い風が吹いている

政府は腐敗し、我々はドラッグに蝕まれる
ラジオをつけ、カーテンは引いたまま

我々はこの恐ろしい機械の腹中に閉じ込められている
そして機械は血を流して死んでいくだけだ

"The Dead Flag Blues" 冒頭モノローグより

カナダモントリオール出身バンドのデビュー作である今作は、1997年という20世紀の終わりが世界の終わりのように感じられた年の産物であるかもしれない。しかし、"The Dead Flag Blues"の冒頭のモノローグが示すような絶望的な風景が御伽噺のようには、残念ながら、いまだに感じられない中、このハードコアとオーケストラと映画音楽(西部劇)とドローンが渾然一体となった音楽のアクチュアリティは今だに衰えることがない。

 

これ以降の彼らの作品がより構築的・音楽的になり、"時間をかけてビルドアップ〜爆発的なクレッシェンド"という「型」を踏襲していくのと比較すると、この作品は未整理で雑然としているが、だからこそ今作が彼らの中では最も好きな作品だ。聞いているとまるで"F# A# ∞"という映画の中に自分がいるように感じられる(実際、キャリアの初期は未発表映画のサウンドトラックとして曲を作っていたようだが)。

 

インナースリーブにはこの奇妙なアルバムタイトルの意味が図解されている。1曲目のキーはF#で始まるが、これは"Regret(後悔)"を表しており、2曲目のキーはA#であるがこれは"Desire(欲望)"を表している。そして我々人間はその中で永遠()に続く"Fear(恐れ)"の間で反復運動を繰り返し、前進することができない(図中の"Babylon Triangle of Capavitilty"に該当)。正直私の頭では抽象度が高すぎて意味の5%も理解できていないと思うが、興味深いのは"Hope(希望)"が"Fear"に対置されていることで、これはBabylon Triangleの三角形から外れた位置にあるが、これも永遠(∞)となっていることだ。

 

もはや絶望しかないと分かっていながら、もしかしたら希望のようなものが一瞬感じられるかもしれない。そう思ってこの世界を右往左往し続けるのが人間なのだ、永遠に。

Cindy Lee/"Diamond Jubilee"(2024)

今年1月に逝去したデヴィッド・リンチは映画というフォーマットにおいて、この世界が本質的には不可知であると提示することにかけては最も卓越した人物であった。彼なき今、アート、特に音楽に関しては謎めいた部分など何もないかもしれない。Kara Jacksonのような繊細なフォーク歌手ですら売上のためインディーレーベルからTiktokの動画を投稿するよう要求される状況で、口を開けていれば供給される情報と、聴衆が積み重ねた解釈の結果、「全て」が理解できるようになった。

 

この2枚組、122分、32曲入りのアルバムにはあらゆる過去が取り憑いている。1960年のマカロニウエスタンのサントラ。1964年のモータウンのガールズグループ。1979 年のストリングスをふんだんに使ったディスコ。1983年のシンセポップ。1993年のローファイインディetc...。しかし勘違いしないで欲しいのはこれは単に過去の音楽の一部を拝借して調合しただけの音楽ではない。では具体的に何があるのか?よく分からない。

 

今やどんなアンダーグラウンドのアーティストでも、SpotifyApple Musicで聴ける時代だが、今作はアーティスト自作のGeocitiesサイトから音源をDLするか、Youtubeに上がっているフル音源を聴く以外に視聴する手段はない(つい最近CDとアナログが出たので、私はそれを聴きながらこれを書いている)。単に自分の好きな音楽の要素を並べて満足する音楽家であれば、わざわざそんなことはしないだろう。ではなぜそんな事をしたのか?自分の音楽を多くの人に聞いてもらいたいと思っていないのか?よく分からない。

 

Xを覗けば、政治家もインフルエンサーも一般人も、あたかも自分は過去や現在を(人によっては未来も)全てを知っているかのように振る舞っている。だが、自分の近くにいる人や今聞いている音楽のことも完全に理解していると言えないのに、なぜ世界のことは全て知っていると思えるんだ?Cindy Leeの音楽は美しく、今にも消えて忘れ去られそうな形で、たった一人でそう抗議しているように思えるが、そんなこともないかもしれない。よく分からない。

 

以下、アルバムで個人的に好きな3曲

Real Estate/"Days"(2011)

私が生まれ育ったのは、日本海に面する地方都市であった。そのような人間にとって冬は憂鬱な季節である。このアルバムのジャケット(上記)のような変わり映えのしない家が並ぶ景色の中、膝下あたりまで積もる雪を掻き分けながら学校まで通うことは、その晴れない天気と相まって全てが私の気持ちを落ち込ませるために用意されているかのようだった。今作がリリースされたのは2011年の10月だったが私が初めて聞いたのはそれからおよそ4ヶ月後、雪はまだ降り続けており、そして大学受験がほぼ終わったタイミングだった。田舎の高校生というある種保護された身分から、県外で大学生として(一応)自立し、大人として扱われるその狭間で、ある時期の終わりが目の前に迫っていた。

 

Real Estateは、ニュージャージー州のリッジウッドという田舎出身のバンドであるが、別にそのことを知らずとも彼らが育った環境はこのアルバムを聞けばすぐに分かる。「落ち葉の上を歩く」「凍った海をスケートする」「緑の道を通って当てもなくドライブする」etc...豊富な風景描写から彼らが見る世界は、なんということもない地方都市(そのまんま"Municipality"という曲もある)のものである。しかし、煌めくようなギターと優しいボーカルが重なることでそのような風景が何か特別なもののように思えるのだ。今まで聞いたことがある日本の音楽がリプリゼントし得なかった地方の風景を、海を挟んだアメリカのインディーバンドが身近に思えるやり方で表現していることは、私の音楽の見方にささやかだが大きな影響を与えた。

 

このアルバムの出色は間違いなく、最終曲"All the Same"だ。「すべては同じなんだ/問題ない/なぜなら夜は単なる別の日でしかないから」と平凡さの中にある、ある種の悟りを得たような歌は曲の半分程度で終了する。そしてその後、曲の残り半分はひたすら同じギターリフを繰り返していくパートへ移行する。とにかくこのパートが筆舌に尽くしがたく素晴らしい。同じリフを繰り返すことで退屈な地方都市の世界が何か煌めくようなものに変容するのを私は見ることができた。3分程度で終わるパートだと分かっているのだが、何回聞いてもまるで永遠に続くかのように感じてしまう。

しかし、当然だが永遠に続くものは何もない。彼らReal Estateは次作"Atlas"(2014)で成熟したサウンドを見せたが今作にあった瑞々しさはすでに失われていた。その後ギターサウンドの要であったMatt Mondanileがセクハラによりバンドを追放されて以降、まずまずのアルバムを残してはいるが二度とこの頃のサウンドに戻ることは出来なくなってしまった。

 

しかし、必要以上に悲しむことはない。"All the Same"のサビで彼らはこのように言っている。「Oh when you came back from the scene it's true, you brought a melody/Oh I know it's hard but you stay with me, oooh ooh, we've got a memory(その場面から君が戻ってきた時/君はメロディーを持ってきた/辛いのは分かってる/でも君は僕といる/僕たちには思い出がある)」。私の短く、奇妙なあの冬はこのアルバムの思い出と共にある。そしてこれを聴くといつでもそこに戻ることができるのだ。

Hüsker Dü/"Zen Arcade"(1984)

今作をリリースする直前、彼らはフォークロックバンドThe Byrdsの"8 Miles High"のカバーシングルをリリースしている。カバー元に似ても似つかないハードコアアレンジがなされたこのカバーは60年代に対するアンチテーゼであるかのように思われたが、実はその逆であることが"Zen Arcade"で判明した。

 

パンク(ハードコア)は、一般的に70年代に主流だったプログレやハードロックなどの巨大化したロックに対するアンチテーゼだと言われることが多いが、実はそれと同じくらい60年代ー特にヒッピームーブメントが盛んだった60年代後半ーに対するアレルギーも強かった。反戦や反政府という主張をするにせよ、結局のところポピュリスト運動に終わったヒッピーが言うところの「愛」を使うことは70年代後半の若者にとっては10年前と同じ轍を踏むことにしかならないと考えていたし、そのような風潮は音楽的リファレンスにも反映されていた(パンクスが支持した60年代後半ロックといえばThe Velvet underground, Captain Beefheart, Canなどの辺境プログレ,Stoogesぐらいか...)。しかしそのような風潮の中、Hüsker Düの3人はイデオロギー的な部分はさておき、音楽的には自分達をよりより大きい所へ導く宝の山であると見ていた。

 

83年にドラマーのグラント・ハートが住んで?いた元教会で本作のリハーサルを始めた彼らはそこでLSDにのめり込むこととなる(「あの夏はたぶん28回はトリップした」とハートはインタビューで認めている)。まさに60年代のサマー・オブ・ラブの時代を支配したドラッグだ。その結果、それまでの爆速/爆音なハードコアサウンドを引き継ぎつつ、全体的にサイケデリックな意匠が施されることとなった。"Dreams Reoccurring"は"Tommorow Never Knows"よろしくギターの逆回転サウンドを聴かせ、"Hare Krsna"はジョージハリスンよろしくインド(ヒンデゥー教)へ接近する。そして14分の最終曲"Reoccuring Dreams"はギターのフィードバックが鳴り響くインプロビゼーションで、Jimi Hendrixの影が見える。ピアノを使ったインストもあれば、アコースティックギターによる弾き語りもある。

しかし、最も60年代的なフィーリングを感じさせるのはその歌詞である。今作は2枚組となっており大まかなコンセプトアルバムとなっている。そのストーリーは、家庭内の不和に悩む少年が家出をし宗教に傾倒したりドラッグに溺れたりするが、最終的には自分の世界を取り巻くより大きな混乱に巻き込まれていくという話だ(ただし最終曲付近ではそれまでの家出話が夢オチであることも示唆されているが)。これはThe Whoが歌うところの「10代の荒地」的なコンセプトである。同時代のアメリカのパンクバンド、例えばレーベルメイトのブラックフラッグやミニットメンは怒りや自己規律、経済性といった徹底的な現実主義に基づいていた。Husker Duもそのような価値観を共有していたが、彼らはそこから「もっと良い世界」を希求することを隠さなかった。(だから、彼らが80年代中盤にいち早くメジャーへと移籍したのもおかしな話ではないのだ。)

 

ソングライティングの面で言えばこのアルバム以降の方がよりレベルが高いのだが、それと反比例するようにハードコアバンドとしての勢いや一体感は減衰していくため、今作含めた3枚("New Day Rising""Flip Your Wig")はどれも個人的には甲乙付け難い。ただ、とあるレビューを引用するなら「太ったボブ・モールドがFlying Vをかき鳴らしながら流れ出る汗はインディロックで最もロマンチックな光景であり、汗の一滴が地球に落ちるたびにSuperchunkのようなバンドが誕生」*1していたことは確かであり、その光景が最も目に浮かぶのはこのアルバムである。成人してから初めて彼らを聞いた私にとって、もはやこのアルバムのテーマや歌詞そのものに強い共感を引き起こす物ではないのだが(家出とかしなかったし)、その代わりインディー/オルタナティブというジャンルの、今はもう存在しないかもしれない、思春期のような純粋さと冒険心をこの有刺鉄線のようなノイズまみれのギターの中に聴くのである。

*1:Spin Alternative Record Guideより抜粋